なぜネガティブ思考を制御するは非常に困難なのか?

今回はタイトル通り、なぜネガティブな思考を制御するのが困難なのかについて書いていきたいと思います。

不安や恐怖、自己嫌悪、欠乏感といった強いネガティブ思考に悩まされている方は是非ご覧ください。

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人生に悩みは尽きない・・・

当ブログはメンタルを取り扱ったブログですので、日々の生活で精神的な悩みを抱えている方が多いと思います。

何か新しいことを始めようとしても失敗のリスクばかり考えてしまったり、人に嫌われていないか心配になったり、人と比べて劣っていると感じ落ち込んでしまったり、将来のことを考えて不安になったり、あれも欲しいこれも欲しいと常に渇望感を感じたり・・・

生きていると本当に悩みはつきないですよね。

「こんなこと考えちゃだめだ!前向きに考えよう!」

と懸命にポジティブ思考を試みても、ネガティブな思考や感情の方が圧倒的に強く、結局は考え方を変えられないことに悩んでしまう方も多いと思います。

調査の結果としても、毎年成人人口の30%近くが何らかの精神疾患と診断されており、また、世界保健機構はうつ病は病気の中で四番目に重大で治療費がかさみ、最も患者を弱らせる病気としています(2020年には二番目に重大な疾病になるという予想)。更には二人に一人が人生のある時期、真剣に自殺を考え、二週間以上その状態に悩まされると言われており、もっと恐ろしいことには10人に1人は実行に踏み切ってしまいます。

※参考図書「幸福になりたければ幸福になろうとしてはいけない」

なぜこんなにもネガティブな思考や感情は強く、制御するのが難しいのでしょうか。

そこには人間の進化の歴史が深く関わっています。

私たちの脳は太古の人類から受け継いだもの

私たちの脳や身体の仕組みは大昔の狩猟生活をしていた頃の人類と大きく変わっていないと言われています。

大昔の生活といえば、生きるために巨大なマンモスと闘ったり、サーベルタイガーから必死に逃げ回ったり、大嵐にみまわれたり、誤って毒性のある食べ物を食べてしまったり・・・

といった今とはまるで別世界。

常に死と隣り合わせの危険ばかりの世界です。

そのような日常を生きてきた人類にとって最も大切となる能力は「危機察知能力」

「殺されないこと」が最優先な状況で楽観的な思考は役に立ちません。

「大丈夫、大丈夫!考えすぎだって!何とかなるでしょ?」

「意外とこれも食べたらおいしいかも!」

危険が満載な世界で安易な楽観思考を抱くと、瞬く間に人類は絶滅してしまいます。

「こんなことをして大丈夫だろうか?」

「何か危険性はないだろうか?」

「もし○○という大変なことが起こったらどうしよう・・・」

生き残るためには「不安」や「恐怖」といった危険を察知する能力こそが重要となってきます。

このようないきさつで、人類は不安や恐怖といった感情を発達させ、駆使することによって過酷な環境を生き延びてきました。

心は今も危険を探し続けている

繰り返しになりますが、現代を生きる私たちの脳や身体の仕組みは危険に満ちあふれた狩猟生活をしていた頃の人類と大きくは変わっていません。何十万年もかけて発達した私たちの高性能な「危険察知能力」は私たちにも受け継がれ、今でも用心を怠らず、身の回りの危険を探し続けています。

今の私たちは食べるものに困ることも、気を抜いたら命を落とす危険性もなくなりました。

ですが、心は「待てよ?現代社会では虎や熊に襲われて命を落とすことはないし、私は洞窟にもすんでいないぞ?」と考えてはくれません。不安や恐怖といった感情を喚起させることによって身の回りの危険を提示し続けてきます。

失業すること、拒否されること、スピード違反で捕まること、公衆の面前で恥をかくこと、癌になること、その他無数の一般的な恐怖・・・

結果として、私たちは多くの時間を、ほとんどが実際には起こらない出来事を心配することに費やしてしまいます。

不安や恐怖といった感情がこんなにも強いのは、心がそのように進化してきたという人類の歴史が関係しているのですね。

ついつい他人と自分を比べてしまう理由

私たちの祖先である原始人が生き延びるために必要な能力は高性能な「危機察知能力」だけではありません。

死と隣り合わせの危険な世界では、集団からはじき出されることは、即、死を意味します。

狼に命を狙われ、安全な食料を識別する知恵も共有できず、食料を確保することも困難になります。

集団から拒否されないように、心は「人と自分を比べる能力」も発達させました。

部族の他のメンバーと自分を比べ、自分は十分に貢献できているか確認したり、他のメンバーと同等か考えたり、周りの人に拒否されるようなことをしてないか確認を怠らないようになりました。

今の私たちも同じですね。周りの評価を気にしたり、会社や学校での扱われ方に敏感になったり、テレビで成功している人を見て劣等感を感じたり・・・

程度の差はあれ、人と自分を比べて悩んでしまう人の方が圧倒的に多いと思います。

私たちを悩ませる心のこのような働きも、遠い祖先から受けついだ心の基本システムが関係しているのですね。

欠乏感も遠い祖先から受け継がれたもの。

他にも、「あれも欲しい、これも欲しい」と常に頭が欠乏感で満たされる心情にも心の進化が関係していると考えられています。

石器時代の人間にとっては、成功のルールは「より多く、より良く」でした。

手持ちの武器が高性能であればあるほど更に多くの食べ物を得られますし、食糧備蓄が多ければ、欠乏したときに生き残れる可能性が高くなります。よりよい住居はより安全で、天候や野生動物から身を守ってくれます。

現代の私たちは、もっとお金を、良い仕事を、よりよい地位を、素晴らしい肉体を、愛を、素晴らしい伴侶を・・・といった具合ですね。

子孫を多く残すために有利であった「多くを求める心」にも現代の私たちは苦しめられることが多いですね。

600万年の人類史のほとんどは狩猟採集生活

ここまで進化の歴史を紹介しながら、不安や恐怖といった感情がなぜここまで強いのか、そして、自分と他人を比べたり、常に心が欠乏感で満たされてしまう理由を説明してきました。

私たちが受け継いだ困った心の働きも、過酷な環境を生き抜いてきた遠い祖先にとっては必要不可欠だったんですね。

しかし、このような話を聞くと、「でも、それって大昔の話なんじゃない?今の私たちと本当に関係あるの?」という疑問を抱く方もいらっしゃると思います。

原始時代の話と言われても、あまりにも現在の生活とはかけ離れていて実感がわきませんよね。

また、心が進化するのであれば、私たちの心は今現在の生活にもとっくに適応しているのではないかという可能性も考えられます。

しかし、現代のような安全が確保され、物が溢れている時代は人類全体の歴史からみるとほんの一瞬にすぎません。

例えばこちらのページによると、人類600万年の進化史からみると、ほとんどの期間は狩猟採集時代とのこと。農耕と牧畜が始まったのは600万年のうちの最後の一万年ですし、電気や電話、家電製品が普及した現代生活にいたってはわずか100年前。更に、パソコンや携帯、ネット、SNSなんてのはここ10年の変化です。

何十万年もかけて発達してきた心が、たかだか100年や10年といった環境の変化にすぐ適応できる訳がないのですね。

悩むのは当たり前

最後に今記事を通して抑えていただきたいポイントをまとめましょう。

1、不安や恐怖といったネガティブな感情は過酷な環境を生き抜いた太古の人類から受け継いだもの。太古の人類にとっては「殺されないこと」が最優先なので元々強く感じるようにできている。

2、「ついつい他人と自分を比べて悩んでしまう」、「自分に無い物ばかりに焦点がいき欠乏感を感じてしまう」といった心の働きも、進化の歴史として受け継いだもの。

3、不安や恐怖、自己嫌悪、欠乏感などで悩んでいたとしても、それは人格の問題だけではなく、人間の心に備わっている基本的な性能。

1,2に関しては今記事で述べた内容そのままですね。

3に関しては、例えば、

「何で私は悲観的な方向にしか物事を考えられないんだろう・・」

「人と比べて落ち込んでばっかりの自分が嫌になってくる」

「自分にない物ばかりが見えて欠乏感でいっぱいだ。こんな考えしかもてない私はどこかおかしいのだろうか」

といった悩みを抱え、自己嫌悪を感じていたとしても、それは人間の心に備わっている基本的な性能の話であって、必ずしもすべてが自身の性格=人格の問題ではないということです。

人間ってそもそもそういう風に考えるようにできており、多かれ少なかれほとんどの人は同様の悩みをもっています。(もちろん、私も!)

過度に自分を責める必要は無いんですね。

また、ネガティブな思考や感情って元々強く感じるようにできているので、ネガティブな感情を消し去ろうとするよりも、うまく共存する方法を学ぶというこれまでの話にもつながります。

話が長すぎてよく分かりません!!という方は

「人の心は元々そういう風にできているので、ネガティブな思考や感情が強いのは当たり前なんだ!」

ということを抑えておいてください(笑)

次回以降も、ネガティブな感情とうまく共存していく方法を学ぼう!という方向で話を進めていきます。

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